学ぶ気持ちと「気づき」の力について

2020年6月25日

今回は、私が将棋を指す上で大事だと考えている気持ちのありようについて書いてみます。

 

テーマは「学ぶ気持ちと気づきの力について」です。

学ぶ気持ちと「気づき」の力

駒落ちで平手が強くなる

私が8年前に将棋道場をオープンしてから、詳細な数字はさすがにわかりませんが相当な数の対局をお客さんと指していると思います。特に将棋教室を始めてからは、かなりのペースで対局をこなしているはずです。

 

ただ、昔プレイヤーとして指していたころに比べれば、平手の将棋を指す機会はかなり減っています。もしかしたら、大会に出ていたころの対局数の20%に届いていないかもしれません。

 

現在指している将棋のほとんどは駒落ち将棋であり、その中でも六枚落ち以下の手合いがほとんどです。つまり、1年のほとんどを六枚落ち八枚落ち、そしてミニ将棋を指すことで費やしていることになります。ですから、正直平手の定跡は自分の中ではほとんど進歩していませんし、むしろかなり忘れています。

 

例えば、私はほとんど四間飛車のみで将棋人生を過ごしているのですが、知識の面ではかなりプレイヤーだった頃の方が上だった気がします。ところが不思議なことに、将棋は平手を指す機会がかなり少なくなった今の方が昔に比べてかなり強くなった気がしています。これは、経験値の増えた駒落ち将棋だけではなく平手の将棋に関してもです。自分の感覚的な部分ではありますが、おそらく間違いはないでしょう。

学ぶ気持ちの存在

では、なぜ平手を指す機会が減ったのに平手の将棋が強くなっているのか?

 

この問いに対する答えはある程度自分の中にすでにありますが、今もまだずっと考え続けています。なぜかというと、そこにはうちの将棋道場や将棋教室で強くなることを目指して頑張っている方にぜひ伝えるべきことがあると考えているからです。

 

さて、おそらくこの問いに対する最も端的な理由は、対局数を積み上げたことから来る将棋そのものへの慣れだと思います。手合いに関係なく将棋を指し続ける機会が増えたことで将棋に対する経験値が上がり、その結果対局時における考え方に無駄がなくなり技術が向上することで少しずつ将棋が洗練されてきているのでしょう。

 

ですがその本質的な理由としては、私には学ぶ気持ちというものが常にあったからではないかと考えています。

学ぶ中で気づく

私は将棋を指す上で、誰が相手だろうとどんな手合いであろうと一局を通して学ぶことが必ずあるはずと考えています。たとえ将棋を覚えたばかりの子に指導者として将棋を伝える時においても、その指導を通じて何かを学びとろうという姿勢でいることを心がけてきました。

 

そして、そのような気持ちで将棋と向き合っていると、駒落ち将棋やミニ将棋からも平手に通じる大事なことを学べることに徐々に気がつきました。下手として指導を受ける側だけでなく指導をする上手側にも、とても勉強になることがわかってきたのです。

 

この時何となくではありますが、将棋というものの奥深さを感じると同時に手合いに関係なく本質は一緒であることを感覚的に掴めたような気がしたのです。

「気づきの力」を鍛える

私の教室では、子どもたちに下手側だけでなく手合いに応じて積極的に上手側も持たせるようにしています。その方が棋力の差に関係なく対局機会も増やせますし、上手側と下手側というまったく違う作りになる将棋を経験できるからです。ですから、教室を卒業した生徒たちにも機会があれば駒落ち上手の経験をたくさん積ませています。

 

しかし、ある意味仕方がない部分はありますが、駒落ち将棋は平手の将棋に比べて面白みに欠けると感じている子が多いと感じます。

 

その時上手側を持つ子どもたちに伝えていることは、

「指導をするという気持ちで指すのではなく、一局の将棋として自分が勝つために最善を尽くしましょう」

「勝つためにどう考えどう指すのか、そのために必要なことに気づけるよう、常に学びとろうという気持ちで指しましょう。そうすれば駒落ち将棋もミニ将棋も、君たちの平手の将棋を強くすることに役立てることができるよ」

 

ぜひ、私が今までに掴んだものを全て余すところなく子どもたちに伝えていきたいと思います。

 

今回は以上です。

ご覧いただきありがとうございました。