「心の刃」について

2020年6月25日

今回は、以前書いた「心」の強さについての続編となります。

 

テーマは「心の刃について」です。

「心」を強くするには

「心」を磨く

以前の記事で、将棋が「強い」と言われる子どもたちたちは、総じて「」が強いということを書きました。ただこの心の強さは、残念ながら誰もが持てるものではありません。というのは、元々の性格的なものなものもありますが、「心」が鍛えられるレベルの対局経験を積めるところまでなかなか「将棋」と「努力」を続けられない、というのも大きな理由の一つです。

 

将棋に「絶対に叶えたい目標」を持ち、「人一倍の努力」を続け、「必ず勝つ!という強い気持ち」で対局に臨む。勝てば目標が叶い努力が報われたという喜びを知り、負ければ「勝てない相手」の存在と努力が報われなかった悔しさを知る。

 

もちろん勝つに越したことはありませんが、このような対局経験は、たとえ結果がどちらになろうとも「心」が鍛えられる機会を得ることができるきっかけになります。

 

つまり、「心」は磨かれてこそ強さを持つというわけです。

指さないと「将棋」が緩む

現在、新型コロナウイルスの影響で大会等の真剣勝負の場がどんどん無くなっています。ほとんどの大会が中止に追い込まれ、代表権がかかった大会も軒並み「中止」の嵐です。子どもたちも家からもほとんどまともに出られずに、ネット将棋のみで将棋を指す日々が続いています。

 

そのような、「一年間の目標」も「人と実戦を指す機会」も失った状況の子どもたちとたまに指すと、以前に比べて実戦感がやはり欠けてきてるなぁ、という印象を持ちます。普段はなかなかやらないようなうっかりミスも所々に出るし、何より目の前で対峙していても伝わってくるものがありません。もちろん、本人は「勝ちたい」と思ってやっているのですが、その意思が私に響く感じがないのです。

 

将棋のブランクと、それに伴う「心」を磨く機会の消失はやはり大きいんだな、と実感したのでした。

心が磨かれた子との対局

以前、ある将棋教室の生徒と六枚落ちを指した時のことです。手合いが六枚落ちですから、まだ将棋の基本を固めている最中なレベルということになります。

 

その子の性格はとても負けず嫌いで、かなり「勝負の結果」にこだわる気の強さがありました。地道な努力をやるのを苦にせず、「詰め将棋」や「棋譜並べ」を始めたら黙々と4時間ぐらいぶっ続けでやっています。対局どころか普段の将棋の勉強からして、鬼気迫るというか凄い集中力で臨む子でした。

 

そして、その時の対局で私に感じさせた感覚は、もはや「殺気」と言ってもいいのではないか、というレベルのものだったのです。なぜそれほどまでの執念がその子にあったかというと、いつも良い勝負にはなるのですが、結果としてその子はまだ六枚落ちで一度も私に勝ったことがなかったからです。

 

その対局は、今でもすごく私の印象に残っています。もう、とにかく伝わってくるものが凄くて、たとえ駒落ちでも「今回こそ勝つ!」という強いオーラというか雰囲気が出ていました。

 

対局中はまさに微動だにせず、その一手一手から「狙い」と「この将棋をこう勝ちたい」という意思を感じるというか、私に突き刺さってくる感じです。「読み」自体も私とほぼ合ってるし、何より事前にある程度は読んでいるにもかからわず、さらに自分が指す一手の価値を高めるために読みに時間をかけて没頭する。

 

実際その時は、将棋の方も強かったのですが、その「心」の磨きぶりにびっくりしました。教室に初めて来てからまだ4ヶ月ぐらいのキャリアで手合いも六枚落ちの子が、強いという評価をすでに得ているレベルの子どもたちに勝るとも劣らない「心の強さ」を私に示したのです。

 

その対局は結果私の完敗となり、初めてその子に六枚落ちで負けることとなりました。ですが、勝ちが決まった後のその子の無邪気な喜ぶ顔は、対局中に見せたものは全く別人の、どこにでもいる普通の子の顔でした。

 

投了後に私は、

「あぁ、対局だけでなく普段の勉強からして必死な気持ちでやっていると、ここまで心が磨かれるものなのかぁ」

 

と感心した覚えが今でもあります。

 

その対局は、私にとっても良い経験となりました。そして「心」の強さは対局だけでなく、普段からの将棋に臨む姿勢からも磨かれていくのだと強く感じました。

 

なかなか子どもたちには難しいことではありますが、少しずつでも一生懸命にやることの大切さを伝えていこうと思います。

 

「勝負」には、こういった「心の刃」も必要なのです。

 

今回は以上です。

ご覧いただきありがとうございました。

 

関連記事