「心」の強さについて
今回は、「心」の強さということについて書いてみます。
このテーマも、よく子どもたちや保護者の方と話す機会が多いです。
心の強さについて
「上手い」と「強い」は違う
将棋はいわゆる「完全情報公開型ゲーム」であり、すべての情報(どこに何の駒があるか、持駒は何があるか等)がお互いにわかるため、基本的に強い方が勝つゲームです。そこに「運」のような偶然性の強いものは、そうそう存在しません。
ただ、将棋の強さというものはいろんな要素があり、これが強さだと一概にいうのは難しいと思います。それは時として技術的なものだったり、読みの深さや構想力であったりします。
でも間違いないことは、将棋は人が指す以上、その指し手にはその人の性格や考え方が表れる、ということです。そして心の強さ、言葉を変えればメンタルであり精神力ともいいますが、それもまた将棋の勝敗に大きな影響を及ぼす要因の一つです
例えば私は、よく子どもたちや保護者の方に「上手い」と「強い」というのは違うものだ、と伝えています。そのことについて、ちょっと書いてみます。
今まで私が子どもたちの指導をしてきた中で思うのは、将棋は勉強すればした分だけ、それなりに上達していくということです。これはまぁ、一般論としてもほとんどの方に当てはまるものだと思います。ですがそれと同時に、努力をしている子はそれなりに「上手く」はなるけれど、「強い」という評価がつく子は総じて「心」が強い、とも考えています。
「絶対に勝ちたい」
「絶対に負けたくない」
「最後まで諦めない」
等々…
強いと言われる子どもたちは、誰が相手でも、たとえどんなに形勢が悪くても最後の最後まで勝負を投げない、というところが共通しています。
以前の記事に書きましたが、「競技」としての将棋の世界で「代表」を本気で目指している子どもたちは、その典型例だと思います。「県代表」となって、全国大会で同じ世代の全国の強豪と戦うことの価値を知った子には、その立ち位置を絶対に他の子に渡さない!という強い意思が備わります。代表というものになったことのない子どもたちは、将棋もさることながら、その気持ちの部分でも上回っていかないといけないのです。
よく私は、こう子どもたちに話しています。
「何度負けたって、君が諦めないで次こそ勝つんだと挑み続けるかぎりは、将棋では本当の負けはやってこない」
「でも、もう自分はこれ以上強くなれない、とかあの子には勝てないなどと考えて努力することを止めた時には負けということになるんだよ」
「諦めたらそこで試合終了ですよ」とはある有名なバスケ漫画の一セリフですが、まさにその通りだと思います。「諦めたらそこで対局終了だよ」と、これからもしっかり子どもたちに伝えていきます。
「ない」かもしれない。でも「ある」と信じる
私が子どもたちに「心」の強さに関する話をするとき、よく出す話の一つに「砂場のお金探し」というものがあります。これはどういうことかというと、以下のような質問形式の話です。
「今からお金のうち、「硬貨」だけを1種類1枚ずつ砂場にばらまいたとしよう。で、君が見つけたものの中から1枚だけ、好きな硬貨をお小遣いとして持って帰ることができるとします。もし、君が最初に見つけたのが五円玉だったとしたら、君はそのお金を持って帰りますか?」
この問いかけに、ほとんどの子が「持って帰らずにまだ探す」と言います。何で?と聞いたら「もっと価値の高い硬貨を探して持って帰りたいから」と言ってきます。
この話はいったい何について言いたいのかというと、要は「あるとわかっている物なら、皆探す気にもなるよね」ということです。
ですが、将棋において最善手を探すというのは違います。
あるという保証はどこにもない。それでも、今見つけてる手よりもっと良い手があるかもしれない。その可能性を信じて、できるかぎり探し続けないといけないのです。
あるという保証のないものを「ある」と信じて探すのは、大人であってもしんどい作業です。ましてや、年端もいかない子どもたちがやらなければいけないようなことでは、普通ではないでしょう。でも前述の「強い」と言われている子どもたちは、それをずっと意識しています。
「これぐらいの手でいいだろう」
そう考えて指していると、どうしても心に「厳しさ」がなくなっていきます。本当にしんどい作業ですが、やるとやらないでは「心」の鍛えられ方が全然違うと思います。
このように、勝負に「結果」を求めてしまうと、将棋というものは本当に厳しい一面をのぞかせます。それを求めた人たちには、「心」の強さというものはきっと永遠のテーマになるのでしょうね。
今回は以上です。
ご覧いただきありがとうございました。
関連記事
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません