将棋のさまざまな「顔」について(4) ~芸事(伝統文化)としての将棋~
前回の記事に引き続き、今回は「芸事(伝統文化)」としての将棋について書いてみたいと思います。
「芸事(伝統文化)」として取り組む
「正解」の出ていない世界
将棋の指し手には、数えきれないほどの膨大な変化があります。
世界最高のコンピューターをもってしても、いまだに「正解」という手順は出ていないはずです。
とはいっても、近年のコンピューターは「人間」よりはるかに正解に近づいているのかもしれませんが(汗)。
しかしそれでも、ある意味人間の「代表」として、将棋という「一芸」を極めようとしている人たちがいます。
それが「プロ棋士」という存在です。
文字通り「将棋」のプロフェッショナルとして、将棋の「勝ち負け」をベースに生計を立てている方々です。
他にもイベント事や大会の審判だったり、将棋の指導だったりで収入を得る手段はありますが、基本は「勝負」というシビアな世界に生きていると言っていいでしょう。
しかし、ただ生活のために将棋を指している、というわけではないと私は思います。
私は以前、あるプロ棋士に言われたことがあります。
「プロ棋士なんて、自分が将棋に答えを出したいと思っている人間の集まりだよ」
もう、一芸を極めんとする求道者だという話ですよね。
本当にすごい話だと思います。
それ以来、私は「芸事」としての将棋の顔を意識するようになりました。
将棋の普及活動
また、将棋には過去から現在、そして未来へと繋がっていく伝統文化としての顔があります。
将棋の世界というのは「縦の繫がり」の世界です。
「先生」から「自分」が教わり、そして今度は自分が「先生」になって学んだことを伝えていく。
この「歴史」の存在を意識しているからこそ、子どもたちへの普及が、将棋界で大事な活動だと考えられているのです。
また、将棋には伝統文化としての「礼儀作法」や「マナー」が存在します。
「上座・下座の存在」「上手が駒袋から駒を出し、最後にまた上手が駒袋に駒を片づける」「駒の並べ方」「どちらが王将・玉将を持つか」等々…
挙げたらキリがないくらいです(汗)。
将棋について、その「ゲーム性」だけでなく、できるかぎりそういうこともしっかり伝えていきたい、と私は思っています。
私が普段意識している将棋の代表的な顔は、だいたい以上になります。
ご覧いただきありがとうございました。
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